新台 入替

〈新台 入替〉は、ミステリ、SF、ファンタジイ、ホラーの専門出版社・東京創元社が贈るウェブマガジンです。平日はほぼ毎日更新しています。 創刊は2006年3月8日。最初はwww.tsogen.co.jp内に設けられました。創刊時からの看板エッセイが「桜庭一樹読書日記」。桜庭さんの読書通を全国に知らしめ、14年5月までつづくことになった人気連載です。 〈Webミステリーズ!〉という名称はもちろん、そのころ創刊後3年を迎えようとしていた、弊社の隔月刊ミステリ専門誌〈ミステリーズ!〉にちなみます。それのWeb版の意味ですが、内容的に重なり合うことはほとんどありませんでした。 09年4月6日に、東京創元社サイトを5年ぶりに全面リニューアルしたことに伴い、現在のURLを取得し、独立したウェブマガジンとしました。 それまで東京創元社サイトに掲載していた、編集者執筆による無署名の紹介オンライン ポーカーカジノ 評判「本の話題」も、〈Webミステリーズ!〉のコーナーとして統合しました。また、他社提供のプレゼント品コーナーも設置しました。 創作も数多く掲載、連載し、とくに山本弘さんの代表作となった『MM9―invasion―』『MM9―destruction―』や《BISビブリオバトル部》シリーズ第1部、第2部は〈Webミステリーズ!〉に連載されたものです。 紙版〈ミステリーズ!〉との連動としては、リニューアル号となる09年4月更新号では、湊かなえさんの連載小説の第1回を掲載しました(09年10月末日まで限定公開)。 2009年4月10日/2016年3月7日 編集部

新台 入替


【INTERVIEW 期待の新人】
『ぼくらは回収しない』真門浩平(ミステリ・フロンティア)

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ミステリーズ!新人賞受賞作を収録した鮮烈な作品集、
『ぼくらは回収しない』を上梓した真門浩平さんにお話を伺いました。
(『紙魚の手帖』vol.16 APRIL 2024より)


──最初に、簡単な自己紹介をお願いします。
真門浩平(まもんこうへい)と申します。一九九九年生まれで、回答時点で大学院生です。

──真門さんは二〇二二年、「ルナティック・レトリーバー」で第十九回ミステリーズ!新人賞を受賞されました。小説を書きはじめた時期・きっかけと、投稿歴を教えていただけますか?
小学校中学年の頃から、はやみねかおるさんによる児童向けのシリーズなどを真似した小説を書いていました。オリジナルの推理小説を書き始めたのは中学校に上がってからです。二年生のときに「一年以内に世に出さないと成立しなくなるトリック」を思いついたため、慌ててパソコンの使い方を覚え、メフィスト賞に長編を投稿したのが最初でした。
ミステリーズ!新人賞には第十一回から挑戦しており、春までに短編を一本書いて応募するのが毎年の恒例行事になっていました。

──小説を書くのが楽しいと最初に気づいた瞬間(シチュエーション)を覚えていらっしゃいますか?
当時何を思って小説を書いていたのかあまり覚えていないのですが、読むことの延長として書くことが自然にあり、時間を忘れて紙に鉛筆を走らせていました。
ミステリを書く上で楽しさを感じるタイミングには個人的に二つのピークがあって、メインとなるアイデアが浮かんだときと、名探偵に推理を披露させているときです。

──中学時代から投稿を始め、第十三回にも最終候補になっていますね。当時の贈呈式の動画が公開されており、法月綸太郎(のりづきりんたろう)さんが講評の中で、真門さんについては「もう一回り大きくなって応募してくる」と触れていらっしゃいますね。
愛読していた先生方からの選評を拝読し、大変感激したことをよく覚えています。あと一歩だったことは残念に思ったものの、講評でいただいた言葉はその後の励みになりました。結果的には受賞までにさらに六年かかりましたが、確実に必要な時間だったのだと思います。名称が変わる前の最後の回に間に合ったことには、不思議な縁を感じました。

──勉強や部活動、受験などの進路選択でも忙しかったと思いますが、執筆と両立できたコツはありますか?
短編や掌編を年に数本というやや遅いペースで書いていたので、時間的にはあまり負担になりませんでした。学校生活や受験勉強で得た知識がトリックのタネになったり、長文の執筆に慣れていることが学業に活きたりと、相乗効果があったように感じます。
もちろんデビューしたい気持ちはありましたが、そもそもは誰に見せるでもない自己満足の趣味なので、「何も書きたいものがなかったら書かなければいい」と考えるようにしていました。書き続けられたのは、毎年投稿すると決めていたミステリーズ!新人賞がペースメーカーになってくれたおかげもあると思います。

──二〇二三年には新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」の第三期でも選出されました。昨年十二月に刊行された『バイバイ、サンタクロース 麻坂(まさか)家の双子探偵』について、どのような内容かご紹介いただけますか?
対照的な性格を持った頭脳明晰(めいせき)な双子の小学生が活躍する、全六話の連作短編集です。彼らが成長するのにともない、直面する事件は重大で複雑になっていきます。ライトな印象のあるタイトルですが、本格ミステリ好きの方にぜひ読んでいただきたい、推理小説的な試みを詰め込んだ一作です。

──『バイバイ、サンタクロース』は連作短編集、そして今回刊行になった『ぼくらは回収しない』(以下本書)は独立短編集です。真門さんの考える短編ミステリの魅力を、連作の場合と独立短編集とで、それぞれ教えてください。
ストーリーや世界設定にどっぷり浸かれる長編に対し、短編は発想の部分を純度の高いまま楽しめる形式だと感じます。ミステリの醍醐味(だいごみ)である解決編がすぐにやってくるのも魅力です。連作短編集は同じ設定・趣向での展開の仕方、独立短編集は一冊の中の多彩なバリエーションに見どころがあると思います。

──続いて、本書の収録順に沿ってお話をうかがいます。まず「街頭インタビュー」では、観察力の高さを自負する中学生が、クラスメイトの姉が巻き込まれたSNS上の炎上騒動の真相解明に挑みます。本作執筆のきっかけを教えてください。
YouTube に上がっていた街頭インタビューの動画に、ちょっとした違和感のある言い回しの真意を面白おかしく考察するコメントがついていたのを見て、「日常の謎」の一つの典型によく似ているなと思いました。そこから連想し、「街頭インタビューの炎上」という現代の受難から、推理の力で被害者を救い出す、という大筋を考えました。

※「街頭インタビュー」全編公開中です。ぜひお楽しみください!

──「カエル殺し」はお笑い大会前後で人生が変わっていったお笑い芸人たちの話です。昨今話題となった「蛙化(かえるか)現象」が登場しますね。
「蛙化現象」は若い世代の恋愛に関する用語ですが、その心の動き自体はいつ誰にでも起こりうるものなのではないか、という思いから題材にとりました。本作を書き始めた一年半近く前はまだ「蛙化現象」があまりメジャーな言葉ではなかったのですが、ここ一年で耳にする機会が急速に増え、流行語大賞にノミネートされるまでに広まったのは予想外でした。
今回の話に適した舞台として、お笑い業界を選びました。お笑いを見るのは趣味の一つです。

──「追想の家」は亡き祖父の遺品整理に出かけた浪人生が、小学生以来、久しぶりに訪れた書斎で発見した謎に挑みます。本作はどのようなことを意識して執筆しましたか?
全五編に共通して言えることですが、ミステリとしての仕掛けと物語の着地点が強く結びつくような作品を志向しました。本作は短編集の中で最後に書いたので、世代の異なる青年が主人公であるという統一感を保ちつつも、他の話と構成や設定が似すぎないように気を配りました。
密室殺人や整理された容疑者リストといったミステリらしい道具立てがない分、最も自然な話になったのではないかと思います。

──「速水士郎を追いかけて」では高校のサッカー部を騒がせた盗難事件が描かれます。繊細な感性を持ち、なかなかクラスに馴染めない探偵役と、サッカー部に所属し行動力のあるワトスン役、という設定に惹かれました。
近頃は性格診断がブームになるなど、生まれ持った性格の違いを自覚させられる機会が多いように感じます。本作執筆のきっかけは、とある性格上の属性がまるで「名探偵」の資質のようだと思ったことでした。性格が異なる人の間にすれ違いはつきものですが、すべてを理解し合うことができない中で推理可能な部分はどこなのか、というところに注目してもらえたらなと思います。

──最後に、「ルナティック・レトリーバー」は数十年に一度の日食の日、大学の学生寮で女子学生が亡くなった事件を描きます。密室状態の現場から自殺が疑われるものの、若くして作家として活躍し、孤高の存在だった彼女の死に納得できなかった寮生たちは、独自に事件を調べ始めます。
以前は謎解きのアイデアから逆算して話を組み立てることが多かったのですが、本作の場合は扱いたいテーマが先にありました。ミステリの形にできる方法を模索した結果、将棋や小説などの題材を取り入れ、就職活動を控えた大学生たちが密室に挑む話になりました。この推理や台詞(せりふ)を誰に語らせたら受け入れられるかと考え、最後に探偵役の造形が決まりました。
力を入れた部分を選考委員の方々に評価していただけたのは大変嬉しいことでした。初めて世に出た、思い入れのある一編です。

──続いて真門さんご自身についてうかがいます。お好きな作家と作品をそれぞれ教えてください。小説以外、影響を受けた映画、舞台、音楽などなんでもけっこうです。
小学生のとき、はやみねかおるさんの『名探偵夢水清志郎(ゆめみずきよしろう)事件ノート』や『怪盗クイーン』、『都会のトム&ソーヤ』といったシリーズに夢中になりました。中学生の頃に東野圭吾(ひがしのけいご)さんの〈ガリレオ〉シリーズや米澤穂信(よねざわほのぶ)さんの〈古典部〉シリーズなどを経て、最終的に行き着いた「新本格」の作品群に衝撃を受けました。島田荘司(しまだそうじ)さんの『占星術殺人事件』や麻耶雄嵩(まやゆたか)さんの『翼ある闇』、有栖川有栖(ありすがわありす)さんの『双頭の悪魔』などが印象に残っています。真に斬新なトリックや優れたロジックは、「よくできている」という感心や「そうくるか」という驚きを通り越して、感動を与えるのだと知りました。
最近ですと、白井智之(しらいともゆき)さん、早坂吝(はやさかやぶさか)さん、青崎有吾(あおさきゆうご)さん、阿津川辰海(あつかわたつみ)さん、今村昌弘(いまむらまさひろ)さん等の書かれる現代的な本格ミステリを好んで読んでいます。
小説以外であれば、YouTube などの動画コンテンツや脱出ゲームが好きで、影響を受けているかもしれません。

──今後書きたい題材や抱負などお聞かせください。
AIや数学など、学んできたことに近い理系的な題材に興味があります。今後もしばらくは短編が中心になるような気がしますが、まだまだ手探りの状態で、先がどうなるかはわかりません。
気軽に読めるけれどガツンとくるような本格ミステリを目指し、自分のペースで書き続けていきたいです。

──最後に、本誌の読者にメッセージをお願いします。
『ぼくらは回収しない』は、普段ミステリをよく読まれる方・あまり読まれない方の両方に楽しんでいただけたら嬉しいです。この娯楽に溢れた時代に、新人の本を手に取ってくださる方がいるとしたら、これほどありがたいことはありません。
まだまだ未熟者ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。応援していただけると大変励みになります。




紙魚の手帖Vol.16
ほか
東京創元社
2024-04-10



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霊の長居の成れの果て

勝山海百合 Umiyuri KATSUYAMA


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本書はケヴィン・ブロックマイヤーThe Ghost Variations: One Hundred Stories(Pantheon, 2021)の全訳である。二頁前後の物語が百編収められており、テーマ別に〈幽霊と記憶〉〈幽霊と運命〉〈幽霊と自然〉〈幽霊と時間〉〈幽霊と思弁〉〈幽霊と視覚〉〈幽霊とその他の感覚〉〈幽霊と信仰〉〈幽霊と愛と友情〉〈幽霊と家族〉〈幽霊と言葉と数〉に分けられ、著者による〈主題の不完全な索引〉も付されている。
ところで、ドイツの作曲家ロベルト・シューマンが晩年に作曲したピアノ独奏曲「主題と変奏」は、Geistervariationen(幽霊変奏曲)とも呼ばれ、英語でGhost Variations、本書の原題と同じだ。ブロックマイヤーがこのピアノ曲を着想源の一つにしたことは想像に難くない。

著者のブロックマイヤーは、一九七二年にアメリカ合衆国フロリダ州で生まれ、アーカンソー州リトルロックで育ち、現在も同地に居住する小説家だ。大学卒業後にアメリカで最も歴史のある創作講座であり、小説家や詩人、ジャーナリストが多数輩出していることで知られる――カート・ヴォネガットも講師を務めていた――アイオワ大学文芸創作講座(アイオワ・ライターズ・ワークショップ)で学び、一九九七年にMFAを取得。同年にイタロ・カルヴィーノ短編賞を受賞してデビューしてからは、雑誌に短編を発表したり、長編小説を上梓したりしており、その中には十代の読者を対象にしたものも含まれている。
日本での紹介はイタロ・カルヴィーノ短編賞受賞作「ある日の〝半分になったルンペルシュティルツヒェン〟」(小川隆訳)が『SFマガジン』二〇〇四年六月号に訳載されたのを始めに、死者たちの暮らす街を舞台にした長編『終わりの街の終わり』(金子ゆき子訳、ランダムハウス講談社、二〇〇八年)と、短編集『第七階層からの眺め』(金子ゆき子訳、武田ランダムハウスジャパン、二〇一一年)の二冊がある。本書はブロックマイヤーの十三年ぶり、三冊目の邦訳となる。

本邦で最初に刊行された『終わりの街の終わり』では、死んだ人間が生者の世界からある街にやってきて暮らしを続けている。住民は自分が死んでいることを理解しているが、街はアメリカのどこかの地方都市のような場所で、天国にしては薄汚れており生活感がある。街の住民たちは、死者を記憶していた生者が死ぬと住民が消える仕組みがあると認識していた。いっぽう生者の世界では感染症が発生しパンデミックによる大量死が起こっていた。死者の街では住民が減り、街が縮みはじめ、残った住民全員の共通点はローラ・バードという女性を知っていることだった。ローラは南極基地に一人残され、辛くも感染を免れていたのだ……。クリス・コロンバスによる映画化の計画があったものの、今のところ進行は止まっている。
『終わりの街の終わり』はパンデミックが背景にある世界で、原著は二〇〇六年刊行。ご存じのように二〇一九年からCOVID-19が世界中で流行し大勢が亡くなっている。ワクチンが開発され接種も行われたがウイルスは変異を続け、二〇二四年現在も感染症はとどまるところを知らない。この経験からブロックマイヤーはよりリアルなパンデミックを描くように……ならなかった。彼は死後の世界を、死者の社会を、幽霊の愚かさ、悲しさといったものを描くことに執心した。死者世界の秩序、幽霊の生活を考え続け、書きも書いたりその数なんと百。それが本書だ。ブロックマイヤーはデビュー時期が近く、どちらも日常と不思議が接続する作品を書くせいかケリー・リンクと並んで語られることが多い作家だが、昨年邦訳されたリンクの比較的最近の二つの短編、「スキンダーのヴェール」(中村融訳、エレン・ダトロウ編『穏やかな死者たち シャーリイ・ジャクスン・トリビュート』所収)と「白猫の離婚」(金子ゆき子訳、『すばる』二〇二三年十二月号)では、現実的な生活にストレンジな事象が入り込んではくるものの、ブロックマイヤーほどはリンクは死にも幽霊にも接近してはいない。少なくとも本書ほどには。
ところで、あなたは「幽霊」にどんなイメージを持っているだろうか?
日本に長く暮らす読者であれば、腰から下が薄ぼんやりしている白い着物の女性であったり、血まみれで髪を乱した甲冑の男性を思い浮かべるかもしれない。あるいは白いシーツを纏って浮遊するタイプだろうか。何度閉めても薄く開いている押し入れの暗がりにひそむタイプの幽霊のことが頭から離れない人もいるかもしれないが、本書『いろいろな幽霊』は、読者の幽霊の枠をこれでもかと広げてくる。これが幽霊? これも幽霊という具合に。
ブロックマイヤーは「幽霊」をどんなものだと考えているのだろうか。やや長いが『終わりの街の終わり』から引用する。牧師の息子で盲目の登場人物が思いを吐露する場面にヒントがあるように思う。

〈死んだら、霊という紐がぷっつり切れて、その人のもとに残されるのは、一方に肉体――粘土と鉱物の塊――もう一方に魂だ。霊はその二つの相互作用を果たす役割しかなく、水面に風が吹いてできるさざ波のようなものだ。風を取り去り、水を取り去ったら、さざ波だってなくなる。それがなくならなかったら? もしもなくならなかったら――盲目の男にとっては憶測にすぎないのだが――人は幽霊と呼ばれる存在になる。幽霊とは、霊がぐずぐずと長居した成れの果てだ。風と水のないさざ波であり、肉体と魂から切り離された紐だ。〉

本書の冒頭の一編「注目すべき社交行事」は、法律事務所の入り口に繰り返し現れるうら若き女性の幽霊の話だ。この女性は、法律事務所がまだ舞踏室だった百七年前、十五歳のときにこの場所で失恋をする。想いを寄せていた男性が別の女性の手を取り、それを目にした彼女は舞踏室を出て行くのだが、この瞬間の自身の振る舞いに執着し、死後――そう、このときに悶死したわけでも舌を嚙んで死んだわけでもなく――に幽霊になって、足の踏み出し方や腕の曲げ具合を変えながら二秒か三秒の動作を幾度も繰り返す。彼女がその一角にとり憑いているのは、「自分の感情の真の複雑さを表現し損ねた」と思っているからで、法律事務所勤務の青年たちはその様子を眺めては、人間の愚かさと悲しさと、そうなるかもしれない自分の未来を思う。
この女性の幽霊の場合、同じ場所にしか出現しないので地縛霊のような気がするが、彼女の執着対象は場所ではなく、そのときの感情だ。場所はたまたまであり、傷ついた心ごとそこにつなぎ留められてしまったのだ。「でもどうしてそこに?」の問いが浮かんだとして、読者の心中に幾つかの答えが去来はしても、正解はおそらくない。結局のところ、無意味だったり愚かに見える自縄自縛も含めて幽霊なのだろう。
この話を読んで思い出したのが不動産にまつわる怪談である。その物件では誰もいないのにバタン……となにかが倒れる音がするというものだ。霊感の強い人がその部屋を見に行ったところ、かつてこの部屋で自ら命を絶った人が、踏み台を蹴り倒したときを、死の縁を渡った瞬間を何度も繰り返しているのだという。これは「注目すべき社交行事」の類話と言ってもいいだろうか。「繰り返される瞬間」の意味ではよく似ている。異なる点は、舞踏室が死の現場でなかったのが幸いして舞踏室の女性を見ても人はことさら恐れないが、踏み台が倒れる音のほうは人を怖がらせるところだ。しかしどちらもブロックマイヤーが言う「霊がぐずぐずと長居した成れの果て」である。
「再生可能資源」では、大手多国籍石油化学オンライン ポーカーappの不仲の部長二人が重役研修旅行に出かけた先で(おそらくは激しい言い争いのさなかに)頁岩の絶壁もろとも湿地に落ちる。泥の下、巨岩に押し潰されて七百万年、更に百万年、新しく誕生した種が、二人の肉体だったものが変化した石油燃料に火を点ける。この二人は、死んで幽霊になっても、その肉体から離れることなく百万年を重ねている。もしかしたら不仲だったのは生前の何年かだけで、幽霊になってからは和解してそれなりに楽しく過ごしたかもしれないし、愛とか情とかといったものとは決別し、単に幽霊としてあっただけかもしれない。いずれにせよ人類が滅び、別種の知的生命体が生まれて進化して、石油燃料に火を点けるまでの八百万年。気が遠くなるがこれも長居の成れの果てといえよう。
本書はこのような短いが濃厚な掌編が連なる一冊で、悲しさが漂っていたり、取り返しのつかないことをしてしまった後悔の苦さがあったり、可笑しみがあったり、広大な宇宙の一隅で永遠の孤独を託つような寒さもあったりする。
死んだ途端にこれまでの記憶や社会的な繫がりが断絶することはない、生きた人間と同等の愚かさのままでかまわないので、死後の世界でも生前と変わらぬ暮らしがあって欲しいという著者の切なる願い、祈りが込められているようでもある。
人が集って奇妙な話や怖い話、いわゆる怪談を語る「百物語」という催しがある。百の灯明を点し、話が一つ終わるごとに消していき、最後の一つを消した際に怪異が起こると言われているため、百まで語らずに切り上げるのが作法とされている。筆者も京極夏彦氏を立会人とした百物語に参加したことがあるが、このときも九十九話で打ち止めとなった。
ケヴィン・ブロックマイヤーの百の幽霊譚を読み終わったそのとき、なにが起こるだろう?




【編集部付記:本稿は『いろいろな幽霊』書き下ろし解説の転載です。】



■勝山海百合(かつやま・うみゆり)
岩手県生まれ。2006年「軍馬の帰還」で第4回ビーケーワン怪談大賞を受賞。また翌07年に「竜岩石」で第2回『幽』怪談文学賞短編部門優秀賞を受賞し、同作を含めた短編集竜岩石とただならぬ娘』により本格的にデビューを果たす。11年、『さざなみの国』で第23回日本ファンタジーノベル大賞を受賞。主な著作として『厨師、怪しい鍋と旅をする』『玉工乙女』『狂書伝』ほか、現代語訳を手がけた『只野真葛の奥州ばなし』などがある。また、既発表の翻訳短編にユキミ・オガワ「さいはての美術館」、S・チョウイー・ルウ「沈黙のねうち」「稲妻マリー」「年々有魚」L・D・ルイス「シグナル」などがある。

パチンコ 景品


王元(おうげん)『君のために鐘(かね)は鳴る』(玉田誠訳 文藝春秋 一八〇〇円+税)は、中国語で書かれた未発表の本格ミステリを対象とする第七回金車(キンシャ)・島田荘司(しまだ・そうじ)推理小説賞の受賞作。著者は中国系のマレーシア人とのこと。

デジタル・デトックス――一定期間デジタルデバイスから距離を置き、ネットのない生活を送ることである。こうすることで、自分の心と体を取り戻そうというのだ。そしてここサンディ島には、デジタル・デトックスを行うべく六人の男女が集まっていた。物理的に外界から遮断(しゃだん)されたこの孤島の館で、彼らとインストラクターと料理人だけで、五日間を過ごすのだ。デジタルデバイスをインストラクターに預けたうえで、会話禁止、読書やメモも禁止、そして殺生(せっしょう)禁止といったルールのもとで彼等(かれら)は瞑想(めいそう)に取り組む……。

いかにも、なクローズドサークルである。また、デジタル・デトックスを共通項として集(つど)った面々だが、表面に現れていない人間関係もありそうだ。そうした状況が整(ととの)ったからには、そう、ミステリファンが期待するとおり、館には死体が転がることになる。二日目の朝のこと。密室状況の自室で、子連れで参加した女性が死んでいた。彼女の胸には果物(くだもの)ナイフが突き立てられていた。参加者一同には動揺が走るが、もちろん事件はこれだけでは終わらない。その後も複数の死体が転がる。密室状況で、あるいは密室から抜け出したとしか思えない状況で。いずれもが印象深い密室状況だが、特に第二の密室の真相に衝撃を受けた。こんなところに死角(しかく)があったのか。作中の描写を巧(たく)みに活かして読者の死角を作り出す著者の才能に酔(よ)わされた。

また、本書は視点人物にも特徴がある。断筆(だんぴつ)し、その後、死を迎えたらしいミステリ作家が、視点人物として八人とともにサンディ島で過ごしているのだ(ただし八人からは見えないし、触れることも出来ない)。また、彼は一人称で事件を語るだけでなく、独自の推理も行う。そんな人物が読者を結末へと導くのだが、時折、彼の小説がサンディ島で進行中の出来事に関連しているらしき記述も顔を出す。なにがどうなっているのか。そんな構造の不思議さも新鮮な読み味となっている。王道にして異形(いぎょう)の本作に、是非(ぜひ)御注目を。


■村上貴史(むらかみ・たかし)
書評家。1964年東京都生まれ。慶應義塾大学卒。文庫解説ほか、雑誌インタビューや書評などを担当。〈ミステリマガジン〉に作家インタヴュー「迷宮解体新書」を連載中。著書に『ミステリアス・ジャム・セッション 人気作家30人インタヴュー』、共著に『ミステリ・ベスト201』『日本ミステリー辞典』他。編著に『名探偵ベスト101』『刑事という生き方 警察小説アンソロジー』『葛藤する刑事たち 警察小説アンソロジー』がある。

紙魚の手帖Vol.13
桜庭 一樹ほか
東京創元社
2023-10-10


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